無駄な電灯点けやがって頭おかしいんじゃないのって思いながら歩く私の方がおかしいような気がしてしまう、…そんな季節になりました。
いや落ち着いて。別に「どいつもこいつも浮かれやがってそれに比べて私は」と自虐的になってるわけじゃないんだよ。私がおかしいんじゃない。だって十二月だろうが八月だろうが夜の暗さは変わらないのに、十一・十二月だけあんな必要以上にチカチカさせる事ないじゃない。まぁ冬って日が暮れるの早いし危ないから、街灯強化月間とかならわかるよ。でもなんで屋根や木の上なんか光らせるかね。まぁ子供のいる家庭で、点々とカラフルな電球のついたコードをツリーに巻き付けるようなホームセンターな感じのは許すよ。子供が喜ぶならいいよ。クリスマスなんて行事は子供のもんだから。だけどでかい木の、葉っぱ一枚一枚が電球になってるみたいなのとか、床一面が光ってたりすんのは何なのよ。銀河みたいで綺麗ですねなんてばかじゃない。ビッカビカ光ってりゃ綺麗ってもんじゃないんだよ。近頃の日本人の美意識はどうかしてるわ。いいですか。有名な話ですけど彼の利休さんはね、庭に見事に咲き誇った朝顔を豊臣秀吉が見に来るっていうのに、前日にその庭の朝顔を全部抜き取っちゃったのよ。豊臣秀吉が来て、あれ?無いじゃんって怒るわけね。で、プンプンしながら茶室に入ってみると、床の間にたった一輪だけ朝顔が活けられてて、その美しさにすっかり機嫌を良くしてしまうのですよ。これですよ。この美意識こそ日本的・和敬清寂・燻し銀じゃないの。私だってそんな極めてない半端者だから思いやりとか清らかさとかそういうのはないけどさ。静けさや虚しさの中に咲く一輪の花、暗闇の中にある針の穴の光、夜空の星。星。夜を彩るのは星だけで十分だ。そう思わないか?たった一つの星を見るために街中の電灯を全て握り潰しても構わないと私は思うよ。手の届かない星に人間の高さの灯りが敵うわけない。…まぁね、でもね、どんなに夜の街が灯りで埋め尽くされようが遥か彼方の星には何一つ影響がないわけで、星が見えにくくなるから街灯死ねって思うのは結局、私のエゴですね。星が見たいなら地面を歩いて街灯のない所に行けばいいんだから。最善を尽くさずに、文句ばかり言って、私の方がおかしいんじゃないの。
つまり何が言いたいかっていうと、浮かれてんじゃないよって事です。