元気です。
最初の地震発生当時、T君と自室におりました。「またか」と思っていると予想外のデカさ・長さの揺れ。私の家は十四階建てマンションの十二階です。はしご車が届かない高さらしく日頃から「揺れたらおしまい」なんて、震災対策を放棄していたせいもあって、揺れる揺れる。なす術もなく縮こまっていました。
幸い私の部屋は、引き出しが開いたり棚の小物(大きくても小型のラジカセ)が落ちたりする程度で、被害はかなり少なく済みました。大きな揺れが治まってから部屋を出てみると、台所ではいくつかの食器類が割れ、プリンターが落下、テレビが前のめりに倒れ、テレビ台崩壊に伴い書類などが散乱、という有り様。泥棒に入られたあとみたいでした。
とりあえず身の安全が優先です。非常階段を降りると、外に出ている住民は予想外に少なく、のんきでした。携帯が繋がらないので、T君のおかあさんの安全を確認するためご自宅へ。おかあさんはのほほんと出てきて「すごかったねぇ。でもあいだちゃんの安全が第一だねぇ」と声をかけてくれて、なんだか急に、ほっとして涙が……。一軒家のT君宅は物の落下もほとんどなかったらしく、道中覗いたコンビニでも、商品はきちんと並んでいました。私が感じたより、この地域の被害はたいしたことなかったみたいです。防災頭巾かぶってる小学生だって泣いちゃいないってのに。
しばらく天然おかあさんと話していたら落ち着いてきて、家の片付けをするためにうちに戻りました。ぱっと見、物がかなり広範囲に散乱しているようだったけど、転がってるのは大量の書類やら訳わからないガラクタやらの小物ばかりだったので、修復はさほど困難ではありませんでした。散乱したものを一通りまとめ、余震にびびって外に避難。七時過ぎに帰ったら連絡のつかなかった父と母が帰宅していて、何事もなかったかのように晩ごはんの用意をしてました。プリンターは動くか未確認ですが、テレビは映ります。絶望的に見えたテレビ周りもほぼ元通り。
心配なのは海岸から徒歩三分ほどの距離に一人暮らし&勤務してる姉ですが、メールは比較的はやく届き、市役所に避難→女子会ディナー→カラオケとの連絡が。ひとまず安心、だけど日付が変わる頃、まだ大津波警報が出てる頃にアパートに戻ったようで、姉とメールしつつ、私は布団をリビングに持ってきて両親と寝ました。ほとんど寝れなかったけどね。兄も夜中に帰ってきました。兄の部屋は、寝る場所もないほどの大惨事だったそうです。
神奈川県は震度5強か弱だったと思いますが、過去に経験したことがないような恐怖を感じました。一人だったら間違いなくパニックになってました。今でもニュースを見ては震え、その震動にびびってまた震えを繰り返してます。こわいです。一刻もはやく安心できる時がきますように。今はただ無事を祈りるばかりです。