「僕のことを書いてください。僕のことを書いてください。」と泣いてすがってきたので、アビンニャー(仮名)のことを書きます。可哀想に、この書かれたい願望は悪夢と成り果て毎晩彼を悩ませているのだそうです。私の慈愛に満ちたこの日記に全米が泣くこと間違いありません。
ところで「全米が泣く」ってよく言うけれど、どういうことでしょうね。全アメリカ合衆国民がもれなく涙腺を弛めるってことでしょうか?個人的にそれはないかなぁと思います。たとえば全日本チョメチョメ選手権、といえば、全日本人ではなく各都道府県からチョメチョメ代表選手を選出し競わせるように、「全米が泣く」といえば、全米国民ではなく各州の誰かは泣きますよということなのかもしれません。つまり各州で一人でも泣けば「全米が泣いた」と言えます。これなら、たいした内容でもない洋画に「全米が泣いた」の宣伝文句がつけられるのも頷けますね。州に一人くらいは泣くレベルでも「全米が泣いた」です。「全米が震撼した」も同様。アメリカって大きいし、いろんな人がいますからね、州に一人くらいならねぇ。
かなり曲がった解釈ですが、「全米が泣いた」映画に過度な期待は禁物という点ではその程度の認識でいいんじゃないかな、と思います。あれ、もしかして話が脱線してますかね?そう、慈愛の話でしたね。慈愛、あれはいいもんです。個人名をここに挙げるようなことはしませんが、人のブログを公衆の面前で朗読してしまうような誰かさんには、是非見習っていただきたい。