今日は、さすがの私も死にたくなるレベルで、罪悪感の塊と化すような夢を見ました。昨日の記事を読み返すと、なんて破廉恥な、目も当てられません、塩撒いたるわー。
さてっ。
ひとまず三連休です。まだ始まってもいない気がしますが、休みが有難い。そういえば、人の日記をあまり読まない私ですが、大学生活を細かく書いてる人って少ないような気がします。中学・高校に比べて。え、mixi?なんすかそれ。むしろ私のように学校生活をバチカーン!と書いているのは少数派のような気がします。というか、私はあったことをありのままに書きすぎな気がします。生々しすぎるんです。他の人の日記を見ると、なんてスマートなんだ、といつも思う。で、自分のを見ると、長々しく色気のない文章、まぁ醜い、生臭いっ。でも嫌いじゃないんです。私くらいになると、もちろん自分大好きですから、生臭いのがいいとか思うんです。病気ですね。でも私くらいになると、病気なのがいいとか思うんです。塩撒いた方がいいですね。臭みが消えるかもしれない。
ところで。2005年2月16日開始、今年で四百周年を迎えたマグカン、初期の頃の日記がごっそりないのは、2006年夏頃、急に恥ずかしくなって、衝動的に消してしまったからです。保存もしていませんでした。後悔してももう戻らない。風で飛ばされてしまった砂粒。どうしてあんなことを。急に愛しくなって、今日、何とか残っていたものを、衝動的に再投稿してみました。醜くたってかまわん、というかすっかり麻痺してる。もはやイタいとか思わない。思われたってかまわん。まぁさすがにこれはまずい、と思ったのもあったけれど…。ちなみに、当時の私はいわゆるフォント弄りに命をかけ、文字を太くしたり赤く大きくすることがたった一つの勲章だと思っていたようで、さすがにこれは、と判断してその辺の再現はしませんでした。で、五月後半から秋までの記事は全滅だった。その年の八月なんかは三十回も更新していたというのに。もったいないことです。あの時、消してしまおうだなんて愚かなことを考えついた自分を呪いたい。呪いをかけることによって、当時の自分は記事を消さなくなる。そうするとその時間軸上には「記事を消した自分を呪う私」もいないことになる。呪いはかからない。タイムパラドックス。呪いはかからないから記事は消される。時間旅行をする意味がないじゃないか。どうすることもできないのか?頭を抱える。よく考えたら私は呪いのかけ方を知らなかった。過去に遡る方法も。なーんだ、万事解決!って、ばかばかっ!
そんなに酷くはないんじゃないかなぁと思います。というか、まるで成長していないからね。一応補足しておくと、当時の私の名前は「中堅」、ブログ名は「自堕落生徒会記」です。ハハハ。数少ない貴重なコメントも復元しようとしましたが、そっとしときました。それにしても昨日の記事は酷い。あとで消しておこう。
リセット
北村薫 (新潮文庫)
読書感想文を書いたのはスキップじゃなくてこっちでした。戦争中の女学生の話が出てくるので、中三の終戦記念日に書いた記憶があります。
石川啄木の歌が出てきます。この時代の歌人の中では啄木が一番好きなんです。女の子たちが『啄木かるた』で遊ぶ場面がいいね。そんでやっぱり出てくる女性が素敵。年を取ってもこれくらい真っ直ぐ生きれたらいいのになぁと思います。あと、獅子座流星群の話も魅力的です。次の大出現はいつ頃だろうね。生きてるうちに見れたらいいなぁと思います。
追記:タイトルのネタは麒麟でした。手持ちのビデオで確認。信号機のあの音楽に勝手に歌詞をつけたっていうやつです。