世の中には二種類の人間がいる。耳を動かせる人間と、そうでない人間だ。
私は後者である。動かせた試しがない。しかし動かせる人がいるということは、人の体は耳の動きを制御する構造を備えているはずだ。筋肉とか、神経とかそういうものが。もしかしたら耳を動かせない人はその構造自体が先天的に欠けているのかもしれないが、それを備えている人だって、始めから自在に耳を動かせる訳ではないのではないか。ならば私は生まれつき耳を動かせない運命を背負っているのではなく、耳を動かす方法をまだ体得していないから動かせないだけという可能性も考えられる。今からだって訓練すれば筋肉だか神経だかを操れるようになるかもしれない。それに気付いた私は早速鏡と向き合い顔の筋肉という筋肉を動かしてみた。どこかの筋肉が耳と連動していないか。眉毛や口角を上下させ耳の反応を窺った。……耳はぴくりとも動かなかった。
私は、自分の耳を意のままに操ることができないのだ。耳は私を主人と見なしていない。ということは、耳は誰に従うのだろう?私でないとしたら、一体誰に?どこか離れた場所から遠隔操作を行う者がいるのだろうか?それとも、それは私の体の中に潜んでいるのだろうか?目的は何だ?敵か、味方か?今こうしている間も奴らは耳を通して私の意識をモニターしてほくそ笑んでいるのかもしれない。今は耳だけだが、そのうち目を、鼻を、口を、手足を、やがて脳を支配され、そして
そこまで考えるとあらゆる感情が津波となって押し寄せてきた。自分の体が自らの制御下にないことに対する恐怖。一刻も早く耳を動かせることを確認しなければという焦り。そして体内に潜む異物への果てしない憎悪。人は、支配できないものをおそれる。何もかも配下に置かないと気が済まない。こうした潜在的な意識が戦争を引き起こさせるのかもしれない。「耳を動かせるようになって自慢したい」……そんな些細な欲望が、人畜無害と評される私に危険思想を植え付けてしまうなんて!なんかもう、今のうちに自首とかしといた方がいいですかね?