なんでもいいから監督って呼ばれたい、あいだです。こんな小さな願いも叶えることができないような神を、どうして人は信仰できるのでしょうか。そんな気持ちを胸に今日も私はサティへ行くのです。女は何かを忘れようとサティを求め、財布を空にして現実に戻り、そしてダメな女ねと泣き崩れる、そういう生き物なのです。ヤマダやしまむらとも関係をもった、だけどどこへ行っても同じこと、いいように使われて、捨てるように追い出される、永遠に安らげる場所なんてどこにもないのです。それは疑うことを忘れられないからで、その責任をすべて神に押しつけても救われない生き物なのです。だから、なんでもいいから私のこと監督って呼んでください。ミスターでもいいよ。
我ながら詩人だと思います。
先日、私も「自分の誕生日と同じ芸能人ってさえねえなあ〜。」と思い、「財布ボロボロだから新しいの欲しいなあ〜。」と思い探しまわり、しまむらで「なにこれ!お店にある服と似たような服なのに、この安さ!!」と服を買いあさりました。ええまた行くつもりです。
てゆーか、似たようなことを思って生きているということが怖いです。