人間が人間であるのは言葉があるからだ。それは他の生き物との大きな違い。言葉があるから歴史の教科書も未来のスケジュールも作れる。
でも現在、今もこうして無限に湧き続ける心や思考や感覚をそのまま言葉に変えるのは、とても難しいことだと思う。その限界に挑戦したい。限りなく丸裸なままの心を言葉にしておきたい。
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一体どこで道を間違えたんだろう。何がいけなかったんだろう。誰のせいでこうなったんだろう。
いつもそうだ。まるで育った環境が悪かったと言わんがばかりに過去を分析して文句垂れるだけで、この先どうすれば直るのかなど改善を図ろうともせず、ずるずると引きずってるだけだ。
気を遣って会話を振ってくれる優しい人もいる。何も話さないとわかっていても輪の中には入れてくれる。ますます恥ずかしくて消えたくなる。一度そんな印象を持たれたことを悟ってしまうと、何をしても無理してるように見られてると感じてしまって、明るく振る舞うこともしなくなる。
仮にも二十歳を超えた人間がこんな子供染みたことを吐露するなどみっともない。そこを無理してでも笑顔を作って社交的に付き合うのが大人のあるべき姿なんだろう。大人と言わずとも、何らかの集団に属してる人間の義務なんだろう。老若男女問わず普通にできることなんだろう。
こういう言い方をすると、なんだか「普通のことができないワタシ」なんて悲劇のヒロインを演じてるみたいで嫌気が差す。できないじゃなくて、やらない・努力しないなのに。ますます自分の人間的な醜さを実感する。
飲み込みが早く仕事は丁寧、要求した以上の結果を返してくれる。よくできる新人だと、働きぶりは認めてもらえているように感じる。わからないことはすぐ質問する、何かあってもなくても逐一報告する、気付いたことは提案する。このくらいの業務上のコミュニケーションには支障ない。でも雑談となると途端にダメになる。
逆ならまだ良かった。仕事はてんでダメだけどとにかく明るくて楽しい。そんな風に思われたかった。
普通はこんなことを馬鹿正直に書くもんじゃないんだろうな。いくら馬鹿でも正直な気持ちには変わりなく、何一つ自分を偽らず醜いまま残しておける場所などここぐらいしか知らないから、ただ記しておきたくなった。
仕事場なんだから仕事が出来ればいいじゃん。
「あおちゃんは仕事遅いけど思いやりがある。」
て言われた私からしたら憧れるわ。
思いやりでは給料いただけんわ。
申し訳だわ。
姉さん事件ですだわ。
たとえ万人に羨ましがられる暮らしをしていても、自分が納得できないなら妥協する必要はないと思っています。「世界一美人でお金持ちだけど思いやりがないよね」と言われた人は、きっとあおたんを羨ましがるはず。
その人が「でも世界一美人でお金持ちだからいっか」と思うかどうかは知らないけれど、私は「仕事ができるから別にいっか」とは思えないんです。今の職場ではこれでいいかもしれないけど、上目指そうってなったらたぶん人脈は必要だからなーとか考えてしまう。欲深く傲慢だとは思うけれど。
そもそも、三食ご飯が食べられて羨ましい、戦争のない国に生まれて羨ましい、五体満足で羨ましい…って、「人に羨ましがられる要素」を挙げられたらきっとキリがないし、「じゃあ平和に暮らせてるからいっかー」って妥協したところで(昔の自分はどちらかというとそのタイプだった)、誰かが幸福になるわけでもない。恵まれた環境に感謝しながら、納得できるよーに強欲に生きていきたいなと、最近は思います。
でもどうしてもダメそうだったら、さっさと妥協しとこうと思う。てやんでい、無愛想でも少しは社会の役には立ってんだぜチクショーってな具合に。
思いやりがある、素敵じゃない。大事にしてね。
昔から大人っぽい子ではあったが。
社会に出たら特にだなあ。
長文で悩むが答えはある。
最近は答えが前向きだし。
あと、最後の最後自分を大事に出来る。
これ大事!これが出来てるから大丈夫!
なんでこんなまじコメント書いてんのか。
歳なのか? あ!そーいえばお前オレの誕生日
忘れてるだろ!
はい減点〜
お詫びに、えいごでおしゃれに祝っておきますね。横文字ってだけで知的!
長文を書きすぎる傾向にあるので、手短にしてみました。これで減点はチャラでお願いします。