2013/08/21 Wed

甘え下手で甘えっ子



正直に正直に書き連ねているつもりでも、読み直すとやはりどこか予防線を張ってしまっている。脚色せずに表現できないものか。


***






自分がされて嫌なことはしない。
幼い頃の言付けは年々タブーを増やすだけのものだった。これをしたら嫌われる。あれをしたら誰かに迷惑がかかる。誰かがやった悪いことは、そのまま私がやってはいけないことリストに加えられる。

たとえば姉が母に甘え、母がそれを鬱陶しがったとする。それを見た私はもう母に甘えることはしなくなる。母が姉のことで愚痴を言い、私がその愚痴を聞くことを鬱陶しく感じたとする。私はもう人に愚痴を言うことはしなくなる。お金や物をねだることも早々にリストに加えられ、「定期を買うからお金ちょうだい」の一言が言えず、本来なら親に投資してもらっても良いようなものを泣く泣く自腹で払っていた。教科書代や、一ミリも読まない新聞の集金でさえも。私利私欲、遊ぶお金なら尚更だった。バイトの収入もない頃は辛かった。

甘えたり愚痴を言ったりしない、控えめで謙虚な私を人は褒める。
えらいね、大人だね。
耳が腐るほど聞かされた。


でも、これって私にとっていいことなの?
全部我慢してそれで褒めてもらえたら、幸せ?


幸せの定義は人それぞれだ。褒められて嬉しいと素直に思える性格だったら幸せだった。だけど、「私だってたまには甘えたいし、愚痴の一つも言いたいよ」、そう思ってる以上、表面と内面のギャップが解消されない以上は、それで良しと喜べない。そして、「その本音を誰かに打ち明けることが甘え」だと感じている以上は、この本心を人前に晒すこともしなくなる。


甘えるのが極端に下手になってしまったのは、幼い頃の何気ない言付けがルーツなんじゃないか。そんな仮説に寄せて振り返ってみた。意味やメリットはとくにない。身内を恨んでいるわけでもない。人格形成に影響を与える要素に対する好奇心と、腐った性根をどうにかして他人のせいにしたい間違った甘え方。そんな風に捉えてほしい。無機質なサンプルデータとして捉えてほしい。一切の感情は不要。
posted by あいだ at 22:16 | Comment(0) | 日常
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